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1.幻のイワナを求めて2.ロシアへ・カムチャッカの想い|3.日本のイワナたち|

3.日本のイワナたち

『私のイワナ釣り』

「国敗れて山河あり」、 確かに我が青春時代では山も川も豊かさがあった。
しかし、戦後まもない頃にスタートした高度成長期に合わせたかのような原生林乱伐が始まる。かつての林野庁における拡大造林計画で日本の森は杉・檜へと移行。人工林はまたたくまに各地に例外なく広がっていく。当然、川沿いには車道が開通し、皆伐による山の裸地化で急激に土砂が乾燥、降雨による土石流発生。これらが原因で渓流にあった淵、落ち込み、ぶつかりを平瀬化してしまい、渓流魚の棲家をうばった。

しかしながら渓魚を我が伴として、かつての山の生活者、職漁師たちが自分のテリトリーにイワナを放流。こうしてマス止滝以遠に魚は人為的ながらも、棲息圏を上流へ伸ばしていった。
私の渓魚巡礼は原生林をひとつひとつ垣間見る旅のごとく、あしもとの水を手ですくい飲むことが唯一の誇りであった。それは南から北へ、あるいは北から南下する単独行が基本である。
瞬く間に時は去り、さいはての地はどこだろうとあれこれと思案しながら彷徨した結果、ここだと見定めたところが飯豊、朝日連邦だった。
この地こそ手付かずの大自然があり、相手にとって申し分なく、心が安定する。

岩魚王国誕生秘話
『イワナの謎』

日本のイワナは海から川へ回遊する、アメマスの河川型であることに異論はなかろう。東洋のイワナの世界分布域はカムチャツカ、沿海州、サハリン、千島列島、北方四島そして我が祖国日本がイワナの南限地。その理由でアメマスは同一の腹から河川型イワナ、降海型イワナを渓流に産み分けた。
北東北から北海道にかけての天然河川では今でも海から遡上するイワナがいて、それは巨大化したアメマスすなわち回遊魚そのものに成長した降海型イワナの正体なのだ。
「ヒュー」と木枯らしが渓流を波立たせる頃、北の大地では降海型イワナの群れが遡上する。河口から上流に遡る集団のなかで、何時の間にか魚たちはペアを組み互いに寄り添い、雌魚は尾びれで直径30センチメートルほどの穴をほり始める。雄魚の周囲には河川型オスイワナがあちこちにいて、白い斑点のアメマスの様子をうかがっている。
産卵床が出来上がると雌雄は平行して並び身体を震わせながら口を大きく開け、一気に産卵。その瞬間を逃すまいと待機していた河川型オスイワナが駆け寄り放精、何と産卵行動に参加している。

『イワナの生態』
南北に長い日本列島に棲むイワナの祖先のルーツを考えてみると、ホッキョクイワナあるいはオショロコマ群のなかから突然変異で生まれたのではないかと考察しているのは私だけではあるまい。特にオショロコマグループの棲息圏は北部太平洋一帯に及び、北海道が南限地で東洋イワナと棲息地が重複している。
日本産イワナを北から南へ調べてみたい。
イワナの原点と言える体側に丸い大きな白点を散りばめた魚がアメマス・イワナだ。この魚は海と渓流を行き来する回遊魚でサケ科のサケ、サクラマスが大海原を3、4年かけて回遊するパターンとは異なり、冬は河口付近に集まり、春になるとサケ科の稚魚が降海するのを待ち兼ねるように河口から上流へ稚魚を求めて遡る。北海道ではサケやマスの稚魚を食い殺す海のギャングとなり、害魚扱い。悲しいことにこの地では一年中イワナを釣ることも可能、イワナファンにとっては失望してしまう。

降海する魚がいなくなると、アメマスたちは再び河口に戻り近海を回遊する。秋には本格的に川を遡り、源流で産卵。生態のユニークさはサケ、マスがたった一度の産卵で生涯を終えるのだが、アメマスは一回二回の産卵行動では死ぬことはなく、数年は生き続けられるしたたかさが面白い。それはサケ科の仲間がおよそ200万年前に出現してから、かなりあとにアメマスは誕生し、新しい回遊パターンを進化のなかであみ出したのではないかと考えられる。
しかしながら、日本の渓流ではアメマスが天然河川を遡れる川は北東北、北海道の一部にすぎないことから、この魚の行く末は前途多難であることは明らかで、何時かある日,アメマスの勇姿をみることができないときが迫ってきている気がする。それらはサケの天然産卵状態が北海道知床半島の一河川でしか行はれていない事実から証明できる。
さて、次はダム、堰堤などの人工建築物でアメマスが遡上を絶たれてしまった河川を検証してみる。 

『いつきイワナ化へ
フナ、コイ、メダカなどが誕生から成長する過程において、フナはフナ、コイはコイ、メダカはメダカである。けしてフナがコイになることはなく、巨大なメダカもいないことに関して、各自の「種」が安定しているから定められたサイズで生活できる。
それに対して、イワナは変態(ギンケ)したり、パールマーク(幼魚紋)のまま親魚に成長、白点を体側に散りばめたり、朱点があったり、大きさも60を超える奴がいるかと思えば、15でも産卵する魚もいる。極めつきは季節によって、海と川を行き来している固体がいるから面白い。
最初にいっておきたいことがある。海から渓流を目指し、遡上するのは白い斑点を体側にもつ、アメマスのみである。かつてのアメマスは魚たちが遡る敵水温であれば、どのような川でも遡上した。しかし、河川の天然汚濁(イオウ流出など)と敵水温不適などの理由から、魚たちの天然遡上は始めからない。現在、イワナの棲息地と確認されている川であれば、例外無く近年までアメマスは秋に群れながら産卵場へ遡った。遡上できなくなったのは自然環境破壊、つまりダム、堰堤、水質汚染などの人為的影響、加えて地球規模でおこる温暖化現象によるのではないかと私は考察している。

『ダム上の残留イワナ』

人工的障害物によるイワナの遡上遮断という、アメマスにとっては種の絶滅を意味する行為に対して、仮に河口から人為的遡上止めの間に、魚が産卵可能な沢が無ければ、やむを得ず本流で産卵する。本流での行動は一時的なもので先細りになり、自然の法則にしたがいながらアメマスはいつともなくいなくなる。
健全なる日本国民の税金、建設資金数百億余を投入し、合法的に巨大ダムは完成する。土砂流失流入防止という大義名分のおかげで、人工ダム湖に注入する渓流には堰堤を構築、満水のダム湖の周囲に水量管理目的のコンクリート道路ができあがる。この車道、上流に集落があれば旧道と結び、下流の市街地とむすばれる。

川には立派な橋が周りの緑色化した樹木を拒絶しながら建ち並んでいる。自然河川を上下に分断するダム堰入り口に最新式コンピュータをそなえた管理棟がある。
付帯工事は建設費用にうわのせられる。
膨大な巨費支出で完成したダムにもかかわらず、太古から魚たちが川を毎年下流から遡る、回遊システムに対しては保護対策が講じられない。冒頭で申し上げた通り、アメマスにとって種の存亡がかかっている。
さて、ダムができあがり親魚の遡上を絶たれた川で、残されたイワナたちはどのような運命をたどるのであろうか。

『アメマスのしたたかさ』

アメマスという魚は種を確実に残せるように、産卵から稚魚誕生そして二年魚にいたる過程で、魚の成長の都合とでもいおうか、その度合いの最中、河川型残留イワナと降海型イワナの二つの個体を渓流に生んだ。
二つのイワナたちは兄弟あるいは姉妹である。そのイワナが渓流に残留したり、あるいはギンケして海へむかう相反する魚になる。
このようなアメマスが持ち得たウルトラCならぬウルトラパワーがあったからこそ、イワナは今も健在なのだ。
渓流での魚の存続は簡単に行われる。降海型イワナはダム湖にくだり成長後、再び上流の産卵場へ遡上し、河川残留イワナと産卵行動を共にする。こうしてイワナは何事も無かったように恒久に命は守られる。

本州中央部の奥山イワナの場合、かなりまえから、親魚の遡上が絶たれた。魚止滝以遠の人為的魚の放流イワナも同じく、アメマスの生き残りの術は実にたくましい。ここでも魚はウルトラコスモスCを発揮する。その答えは、アメマスの未来を予知していたかのような、親魚の遡上不能に落ち込んでいるにもかかわらず、イワナの種は守り続けられる。アメマスはオス、メス共に渓流で成熟する個体を生み、河川型イワナで占める稚魚軍団をこの世におくったからである。 

なぜ、アメマスの変身の術が可能だったかについては、正解の決め手を私は知らない。今いえるのはアメマスという魚の世界分布が最も南にその棲息地があるからこそであろう。それらを説明する根拠を紹介する。
私がアメマスを釣ったのは太平洋側では那珂川以北。日本海側では新潟県以北。問題提示の根拠は雌雄の割合だ。白い斑点を体側に持つイワナのオスは北へ移行するにつれて、釣りにくくなる傾向にあり、反対に、メスは釣りやすくなる。その理屈を考えれば、メスは降海型アメマスになる確立が北へ上がるに連れて高くなる。また、南下すればオス、メス共に河川型イワナになる確立がふえる。
大きなアメマスが遡上可能な北海道、大物志向の際に釣行を重ね、その度にアメマスの謎解きに挑戦した。7月、天然河川ではすでに魚は遡上を開始、上流の大場所に潜んでいる。大アメマスは河口から最初の小滝状の落ち込みにいることが多い。本格的な遡上は秋だからだろうか、大物魚はこの時期ではメスがほとんどだ。「シメタ、記録的な大アメマス次のポイント」こんなはらずもリで釣行しても、上流で釣れる魚は河川型のオスいつきイワナが多かった。この事実を理解すれば、アメマスの本場では河川に一年中棲みついている魚のほとんどが河川残留オスイワナなのである。従って、河川型メスイワナは少ない。
道内では河川型イワナのことをエゾイワナと呼んでいる。


『魚紋について』

「満点の 星にまがゆや 岩魚の紋」これは関西の渓流釣りの大御所、山本素石氏(故人)が「日本の渓流釣り」(山と渓谷社刊)の出版記念の際、色紙に一筆書いていただいた時のものである。氏はイワナの朱点の美しさを月と星にあやかって、天上の世界観とイワナの世界観は同じくらい素晴らしいとでも表現したのであろう。
確かに、鮮やかな橙色した、いつきイワナの体側にある朱点は淡水魚中、タナゴのスカイブルーメタリック調に第一位を譲るものの、一色のみの色彩には奥深さがあり、右利きの小生は必ず左手で魚を握る、あの瞬間、あの眼光、あの朱色に感銘してしまうのはイワナファンのひいき目であろうか。
何らかの事情によって、親アメマスの遡上がなくなってしまった場合、白点イワナの体側、腹部の白色は次第に淡黄色へ変化しはじまる。近年までアメマスの行き来があった北海道では、残党アメマスの白点は河川型イワナとの交配で黄色みを帯びてくる。
次に、本州日本海側、新潟県あたりまでのイワナを釣ると、アメマスの白点は消え失せ、変わりに薄い色した朱点が体側に現れる。魚体イメージは白点イワナから朱点イワナへ変身した感じである。
同じ日本海産イワナにもかかわらず、河口から遠いイワナでは事情が違い、朱点の大きさが小さくなり、腹部も黄色~橙色になって、まさに奥山イワナらしくなる。特に、源流にある滝と滝に挟まれ、上下流を分断された渓流に棲む魚はイワナの滝上部への人為的な魚の放流が古い時代ほど、問題の朱点は濃い鮮やかな橙色になる。
最後にややっこしい本州太平洋側イワナについて熟慮してみる。
どの渓流を釣行しても、いつきイワナ化への歩みは古い時代から進んでいたようで、奥山内陸部ほど小さい朱点のイワナがいる。だがこの朱点、北上すればするほど大きくなる傾向にある。それは親アメマスがいつの頃まで遡上していたかによって異なる。
釣り人のあいだで話題となった、パールマーク(幼魚紋)が親イワナになっても体側に残す、問題のイワナを私も釣ったことがある。秋になって産卵できる状態にもかかわらず、藍色した幼魚紋を体側に残した魚体は変わらない個体だ。大きさは20センチ前後である。このサイズだから比較的釣りやすい。しかし、同一渓流で尺イワナクラスになると、幼魚紋は薄くなるか、あるいは消えてしまう。こうなってしまえば、普通のいつきイワナと変わらない。

このように、幼魚紋のある親イワナでも、成長の過程でいつのまにかパールマークはなくなってしまう。
魚紋について私の結論を申し上げる。
白から橙へ移行しているかのような斑紋の地域差を考慮すれば、それぞれの個体が棲んでいる環境に対応て、イワナらしい魚になっていく。つまりイワナの色を司る遺伝子、赤、緑、青の三原色が適度の交じり合いで魚体色を決定する。繰り返し申し上げる。いつきイワナのルーツは紛れもなくアメマスであり、河川型イワナになった子供たちとて親アメマスの到来を待ち望んでいることに相違あるまい。

『日本イワナの適応戦略』

イワナという一見、可愛いく思える渓流における魚たちのドラマは、大自然の猛威との生き残り闘争の果てに存在する。奴らがいつ頃この世に生まれたのか誰も知らない。地球上で起こる寒冷化、温暖化を繰り返すなかで誕生したのであろう
いずれにしても、寒い時代では南の方まで勢力を拡大し、暖かい時代になると北方へイワナは撤退した。
おそらくイワナの祖先たちは繁栄、衰退のそれぞれの時代に海と川を容易に回遊するシステムを築き上げた。
それは川の持つ安全性に他ならない所以といえて、産卵数300~2000粒しか産む能力のなさでも、種を存続できる。また、他の魚類は一回の産卵で10000粒以上の卵を産みつけることからでも、イワナのふ化率は高く、川での天敵は少ない。
かつての日本ではイワナの天国だった話は渓流行脚の際、古老から聞き及んでいる。最大にイワナが殖えた理由の答えは簡単だ。海という無限大に広がるところに、魚が育つエサ(他の魚)が豊富にあった。
川での安全な稚魚生活、海での成長の場、この二つを手に入れたことでイワナの繁殖はピークを迎えた。
なんといっても淡水域で雌雄が成熟し成長する個体群と、降海する個体群とを渓流に残せたことが、今日イワナがいる理由であると信じて疑うことはない。したたかさを持つイワナの執念ときたら、現在の河川機能マヒ状態を予知していたかの手際良さだ。

『未来への遺産移殖放流』

イワナを殖やす試みはいつ頃スタートしたのだろうか。かなり古い時代、山を生活の糧としていたマタギたちのタンパク源として、彼らの猟場に魚を放流していたかも知れない? 何せマタギの暮らしは山麓から遠く、獲物を求めて何日も何日も山から谷へ谷から山へと渡り歩いた。また、かつてのサンカ(山岳地帯を生活の場として、猟をしながら山中を自由奔放に駆け巡った、住所不定の特殊社会人。)集団たちの山一筋で生きぬく根性から、奴らのネグラにイワナを放した可能性は肯定、否定もできまい。明治時代になると各地方の村誌、風土記に魚の放流記録が登場する。
いつ頃、如何なる人がイワナを放流? 誰が放したかの論争は後日、機会を設けて調査することにして、次のテーマに移る。

今、どうして移殖放流が必要なのだろうか。その前に、魚のいない魚止以遠にイワナをなぜ放すのかと言うヤカラに対して、正真正銘の岩魚馬鹿の代表者を自認する小生から愚答を申し上げる。
「イワナが好きだから」この一言に尽きる。例えば、サケ、マスを収入源とする漁業関係者が毎年行っている採卵、ふ化、稚魚放流について意義を申し立てるヤカラは皆無だろう。確かに、魚の放流行為は「食うか食われるか」の生存競争に対象者を晒すことになる。ヤカラは反論する「無用な放流で生態系が破壊される」と。

「ウーム」とばかり、口をへの字に結び歯をかみ締めながら、しばらく考えた末に今にも怒り心頭,爆発寸前する我を押さえながら反撃態勢を整える。
渓流という一河川その一部分にイワナを放すぐらいで、本当に生態系が破壊されるのだろうか。悪食さでもって、手当たり次第に獲物に食らいつく野生に対して、これを自然破壊というのだろうか、、、、。ツキノワグマが雑草やドングリを食べる。ライチョウは高山植物を食べる。ウスバキチョウはコマクサが唯一の食べ物。絶滅寸前のシマフクロウを繁殖させるための取り組みは成功し、放鳥が実地されている。ラムサール条約でタンチョウは手厚く保護され釧路湿原に楽園がある。国内における佐渡島をネグラにしていた特別天然記念物トキは「きん」一羽になってしまったが中国からのトキが繁殖、少しずつ殖えて将来またもといた日本の空を舞い上がる日がくるかも知れない。
これまでに地球上でどのくらいの生物が滅んだのか私は知らない。一つの種の命が何時かある日、突然終わった。「滅び行くものはいつか滅びる」自然の摂理に従って種が消滅した事実は理解できる。例えば、巨大隕石が地球に衝突して種が絶滅した説が有力な恐竜の場合、これを不幸とはいいがたい。今、人が地球に住むことができるのは恐竜がいなくなり人間としての進化があったからだ。
現在、地球上のあらゆる生命の覇者は人間だ。人によって生き物たちの運命が委ねられてしまうのは、不平等であろう。保護されている命は生き守られて、保護されずに放置された命は不安定極まりなく、その行く末が危惧されている。
再びイワナに注目してみる。自然環境下における棲息状況は如何なるものか。イワナに携わった人であれば、「天然イワナは少なくなった」と答えは明らかだ。理由は多々ある。海への回遊を絶たれたことと、自然環境破壊があらゆる渓流に進行し、イワナの棲家を奪った。(今の平瀬化した本流が見本。昔は深い淵があった)勿論、岩魚馬鹿を地で行く、私の行動も無視できず、責任のとりかたに苦慮している。
ブナ林を伐採し、そのままにしておくとブナ二次林に育つ。山形県月山旧六十里街道を田麦俣方面へ辿る車道沿いに、有名なブナ二次林がある。直径20センチ、生育は順調のようだ。一般的なブナ伐採後の自然復活にかかる時間は、約1000年。
おそらく自然破壊された川も1000年あれば原生の川に復活するのであろう。但し、海と河川の間にはダム,堰堤などの人工物がないことが条件である。しかし、現実の渓流に河川としての機能が失われてことは何回も繰り返し言い続けてきた。
川の能力は人間が考えた想像以上のエネルギーを秘めている。天然渓流なら、土石流に見舞われて淵が無くなっても、次の洪水では水流のみが流下し、埋まった淵の土砂を一気に下流へ運んでくれる。けれども、ダムなどの障害物がある渓流では水勢が一時中断、土砂を淵から追い出す力はない。また、川の斜面に伐採が入れば、山腹からの崩壊で降雨の度に土砂が川に入る。
幾つかある川を除き、私は車道が開設された渓流を見捨てた。自分自身が自然環境破壊された位置にいなければいけない訳などないからである。幸い、道路がある利点を使い、川を管理する漁業協同組合があるから、その人たちによって渓流を復活、魚を殖やせられれば事は解決する。
「未知なる魚止の奥にイワナを放す」岩魚の先人たちが己のテリトリーに魚を放流したように、私も若かりし頃「イワナを一人占め」こう言う不純な動機に駆り立てられ、密かに奥地へ魚を運んだ。イワナの職漁師時代、一匹でも多く魚を釣り売らねば商売人として失格者の烙印を押され、温泉宿の板前に白い目でみられ、馬鹿にされた。こんな事情があり、隠しイワナ場(自分一人のイワナ釣り場)をせっせとつくった。

魚止があったら上に魚を持っていく習慣が実を結び、イワナは殖えた。「こんな奥に魚がいる」先人たちの苦労した顔が思い出される渓もある。しばらく岩魚楽園は安泰かに思えた。それから「源流の岩魚釣り」「渓流」「北の釣り」などの渓流釣り専門書発行のおかげで、源流釣りブームが幕を開けた。
世の中では右肩上がりの日本経済は絶好調、所得倍増、日本列島大改造,リゾート開発、ふるさと創世などがきっかけをつくり、戦後の暮らしに余裕ができたこともあり、欧米でのゆとりを象徴するアウトドアが輸入され、オートキャンプでのルアーフィッシング、フライフィッシングを手軽に楽しむ自然派志向の新人類型フィッシャーマンの登場が世に受け入れられ、日本式エサ釣り、毛バリ釣りで釣行する従来の釣り人と合わせて、大渓流から小渓流までの釣り場に釣り人の往来が絶えることはなく、イワナたちの悲壮な叫びが聞こえるかのごとく、渓は荒れた。

『安息地を求めて』

イワナへの恩返しを大義名分として、新しいてつかずの源流に魚を放流する「岩魚の桃源郷」づくりを開始した。イワナ釣り場としてヒィールドを使う目的ではない。新天地では魚たちが安心して棲むことのできるイワナの安息地となる。以前の魚止上部放流では、容易に釣り人のエジキにされて、根絶やし状態。もっとひどいことは、新釣り場発見、手柄話しとばかりに、渓流本に投稿するヤカラがいる。
イワナの源頭放流は滝、廊下、ゴルジュが頂点に発達した渓流ほど源流部放流が功を奏す。沢登り最高級難易度5~6級クラスを中流部に持つ渓谷であれば、釣り人とて簡単に入渓できまい。さすれば、イワナはのんびりと生きられる。幸いイワナの移殖放流の志に同意する仲間が各地方で活躍している。
ここまで数カ所の源頭放流が成功。イワナは超大型には育たないが、ノンビリしているイワナが誕生した。また、将来において、滝と滝のあいだにある大淵には大型イワナの姿を発見できるかも知れない。
新イワナづくりに個人的に参加、協力してくれる釣り人に私からのアドバイスを申し上げます。
山岳地だから5~6月が最適期間。
魚は20匹程度。予め調達し、活かしビクを沢につけておく。
魚の容器は厚手のビニール袋を重ねて使う。
乾電池を使う、空気水中吐き出し装置を利用する。(通称ブク)
ザックに魚入り袋を入れ、背負える量の水を加える。
魚の水温上昇防止用に、背負子があると便利。
以上の項目に留意しながら放流しよう。また、放流地点は遠地、本流からの遡行はできない。当然、尾根越えルートを余儀なくされる。帰路時間を充分みておく放流計画を立案し、実行したい。
1.幻のイワナを求めて      2.ロシアへ・カムチャッカの想い

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